スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
管理者にだけ表示を許可する

この記事のトラックバックURL

http://storiaeterna.blog10.fc2.com/tb.php/270-022b5baa

誰がためのモラーレ 2

そこに存在しているだけで、周りの空気が変わる。
まるで、目には見えない壁が聳え立ち、侵入者を拒んでいるかのような威圧感が圧し掛かる。

(これはまた…)

権力者に媚び諂おうと手をこまねいていた者たちは、踏み出しかけた足を進めることすら出来ずに。
己が最も美しく見える絶妙なバランスを熟知している女たちは、完璧に作り上げた微笑の仮面が落ちてしまっていることにも気付いていない。
そのあまりにも圧倒的な存在感に慣れているはずの自分ですらも。
改めて平伏してしまいたいのだから無理はないだろう、と内心で小さなため息を落としたフルアは、斜め1歩前に立つ己の上司を見やった。

(昨日の休暇で、随分と鋭気を蓄えられたようだ)

普段は無造作に掻き揚げているだけの艶やかな黒髪は丁寧に撫でつけられ、上等なスリーピーススーツに身を包んでいる。
瞳の色によく似た濃紺のハンカチーフを胸に差しているその姿は、企業の頂点に立つ男に相応しい威厳を従わせたもので。
豪奢なパーティー会場の雰囲気に埋没することなく、むしろ、それが彼を引き立てるためにあるかのようにさえ見えるほど。
これで友好的な笑みを浮かべでもしたら、たちどころに人々に囲まれることだろう。

そんなことはありえないが、と内心で苦笑をひとつ落としてから、フルアはシャンパングラスをハインリヒに差し出した。
それをちらりと一瞥し、仕方ないと言わんばかりの顔で受け取って壁際に足を向けた彼の後を追う。

「早く帰りたいお気持ちは分かりますが、体裁上グラスくらいは持っていてください」
「……」
「株主たちも参加しているのですから、我慢してください」

自宅に帰る時間が無駄だ。
そう言い、執務室の隣にあった応接室にベッドを持ち込んで半ば住みついていた過去の彼に、今のこの彼を見せてやりたいとつくづく思う。
未来のあなたは、一刻も早く自宅へ帰りたいと渇望されるようになるのですよ、と。

呼吸をすることと仕事をすることが同等の扱いであった男が、寝るためだけにあった自宅へ帰ることを望むようになるなどと、誰に想像できただろう。
ましてやその理由が、愛しい者がそこで待っているからなどと。

壁の華と化してしまった上司の無感情な横顔を見やり、フルアは内心で何度目かの苦笑を落とす。
冷酷で獰猛で賢い獣の横顔。
それは紛れもなく、権力者のそれ。
しかし、彼の頭の中を占めているのは恐らく、あの青年だろう。
冷たい瞳で周囲を跳ね除けながら、食事は済ませただろうか、ソファで転寝をして身体を冷やしていないだろうか、と思いを巡らせているに違いない。
いささか過保護な上司のそんな心情が、容易に想像できてしまう。

(過去の私にも見せてやりたい)

己の全てを捧げた男の変化を。
そして、彼の変化を嬉しく感じている己自身の変化を。
見せてやりたい。
彼が変わったように、自分もたった1人の青年によってこれほどに変わったのだ、と口端を緩める。
苦笑でも自嘲でもないものを乗せて。

「昨日は良い休日を過ごされたようですね」
「何だ、唐突に」
「アル君とご一緒に過ごされたのでしょう?」
「…あぁ」
「ならば、電池はまだあるはずですね」
「……お前」

恨みがましい眼差しを向けられるが、その人間くさい表情に微笑を深くする。
彼がこういった上辺だけの華やかさを取り繕った集まりを嫌うことは今に始まったことではないが、ここまで顕著に感情を表すことはなかった。
その変化を良しとするか悪しとするか、一概には言えない。
だが、それでも彼に近い者たちは口を揃えて言うだろう。
良い変化だ、と。

たった1人の青年が。
その存在が、確かに彼を変えた。
たとえ、イレギュラーなものだとしても。
自分たちにとっては、その青年と出逢った過程と今目の前にある現実全てが、最良のものだと思う。

「何だ?」
「いえ、あの子に感謝しなければいけないなと改めて実感いたしまして」
「は?」

疑問符を浮かべるハインリヒに辛うじてそれと分かる程度の微苦笑を口端に乗せるが、瞬時にそれを消した。

「フルア?」

一呼吸置かずとして纏う空気を変えた己の秘書に訝しく思う前に、ハインリヒはその理由を視界の端に見つける。
こちらに向かって来る男の姿に、口の中で舌打ちを落とす。

「これはこれは。君がこういう場に来るのは珍しいじゃないか」
「……」

何が詰まっているんだ、と思ってしまうほど突き出た腹を揺らしながら声を掛けてきた老年も半ばの男に、軽く会釈で返す。
一歩引いて空気と同化したフルアの前に出て、株主が集まるこのパティ―に来ないはずがないその男と対峙する。
面倒な奴に見つかった、と落としそうになったため息を背中に隠して。

(貧困な語彙を使って、今度は何を言うつもりだ?)

“株主”と一言で言っても、マネーゲームの素材としてただ株式を所有している者から、資産として大量の株式を保有する者までいる。
その中でも、主要株主と呼ばれる者は発行されている株式の10%以上を保有し、会社の経営方針などに対して決議する権利を持つ。
今目の前にいる男は、まさにその主要株主だった。

その男を、あらゆるイレギュラーを嫌悪する時代遅れな保守論者、と評したのは自分だったか。
それとも、礼節を尽くすのに値しないと判断した人間にはとことん容赦のない己の秘書だったか。

(面倒だ…)

汚らわしい、愚かだ、と口汚く罵るほどイレギュラーを拒むのならば自分から近寄って来なければいいというのに。
わざわざ罵倒するためだけに時間を使うとは暇な奴だ。
辛辣に内心でそう言い放ち、ハインリヒは完璧なポーカーフェイスを男に向けた。

「今期の業績は過去最高だそうじゃないか」
「部下が優秀ですから」
「不景気知らずで何よりだ」

成金らしい金の腕時計にブランドもののスーツ。
上辺だけを一流のもので固めたとしても、品性というものは簡単に偽れるものではない。
ある程度の発言力を有する者だからと言って媚び諂う気などさらさらないハインリヒは、下卑た笑みを浮かべる男を無感情な瞳で見る。
おだてられた程度のことで浮かれるほど感情豊かな人間ではない。
ましてや、世辞とも嫌味とも取れる言葉に返す愛想などない。
だが、それが男には気に喰わなかったようで。

不格好に肥えた醜い身体を揺らし、「だが、」と続ける。

「君はまだあの若い男に誑かされているそうじゃないか」
「……」
「いい加減、目を覚ましたらどうだね。相手は男なんだぞ」

またか、と男には気付かれぬように隠しきれなかったため息を小さく吐き出す。
幾度となく聞かされてきた言葉に、どいつもこいつも同じことしか言えないのか、と吐き出した息の中に幾度悪態を混ぜたことか。
毎度毎度飽きずに同じ罵倒を繰り返す男に、ハインリヒは薄い嘲笑を口端に乗せた。
しかし、男はそれに気付くことなく、尚も口汚く罵倒する。

「君も君だが、その男も信じられん。男に身体を開くなど、汚らわしい」
「……」
「どこの者か知らないが、ろくでもない男に違いない。どうせ、君のことも金が目当てなんだろう?いい加減、気付きたまえ」

そう言い放った男がほんの僅かでも聡明であれば。
その場に膝から崩れ落ち、己の愚かさに気付いただろう。
だが、ハインリヒを言いくるめることができたと思い込み、優越に浸っている浅はかな男には見えていなかった。
ハインリヒの纏う空気が、荒々しく怜悧なものになったことが。
絶対零度の氷を従える獰猛な牙を持った獣が目覚めてしまったことを。

気配を消して控えていたフルアは、思わず一歩退いた。
無意識に、身体が動いたのだ。
本能が、「危険だ」と警鐘を鳴らし、背筋に嫌な汗が伝う。
呼吸すら憚られるほどの冷たく重たい空気が、足元から迫ってくる。

(彼は牙を抜かれた?はっ、まさか)

時として恐怖するほどの冷酷な一面を隠すことをしない彼に、畏怖する者は多い。
だが、触れれば切れるような空気を隠そうともしなかった過去の彼と今の彼を単純に比べている愚かな者たちも居る。
ふとした瞬間に人間らしい表情を見せるようになった彼のことを、腑抜けた獣だと揶揄っている者たちも居る。

しかし、真実はそうではないのだ。
確かに、彼は柔和な瞳をするようになった。
感情を露わにし、感情のままの表情を浮かべるようになった。
だが、それはあの青年に対してのみ向けられるもの。
彼が唯一愛している、アルフレードの存在がなければ存在しないもうひとつの顔なのだ。

(あの愚か者たちに見せつけてやりたい)

荒削りだった牙を丁寧に磨くための場所を得た獣の姿を。
これが、ハインリヒ・エアハルトという男の真の姿だ、と。

(この人は変わってなどいない。いや、恐らく以前よりも…)

ただ冷酷で獰猛なだけだった頃よりも遥かに獰猛になった。
無秩序に牙を剥くのではなく、ただ1つのことに対してのみ本性を剥き出しにするようになった。
何を賭け、何を捧げても護りたいと願う聖域を穢されたことに対してのみ。
彼は、限りなく冷静で冷酷で残酷で獰猛な賢い獣となるのだ。

(これは…拙いかもしれない……)

龍には、決して触れてはいけない逆さの鱗があるという。
それに触れてしまった愚か者は龍の激昂を買い、己の愚行を後悔する間もなく恐怖のどん底に突き落とされるのだとか。

男は、間違いなくそれに触れてしまった。
獣の持つ、逆さの鱗に。

「……」

そのことにまだ気付いていない愚かな男とその取り巻きたちは、卑しくせせら笑っている。
その命が獰猛な獣の前に晒されているとも知らずに。

「……くそ爺が…」

それは、地を這うような声だった。
低く、重たく、冷たいその声音に、フルアはひゅっと不器用に息を飲み込んでしまう。
噎せそうになるのを懸命に堪え、ハインリヒの背中を見つめることしかできない。
スーツ越しでも、バランスよく鍛えられた逞しいその肉体が分かる。
だが、今は同性が羨むほどの恵まれた肉体を観察している余裕などなかった。

深い怒りがぐつぐつと音を立てて煮えたぎっているのが聞こえる。
押し殺すように呟かれた悪態に、背中を伝った嫌な汗が凍る。

(止められない)

そうフルアが悟った瞬間。
ハインリヒは、牙を。
男の喉元に、突き立てはしなかった。

「…誤解をされておられるようだから言っておきますが、」

静かな声で。
落ち着いている、と表現されるに相応しい声音で続ける。

「誑かされているのではなく、俺が彼を手離せないだけです」

そう、とても静かな宣言だった。
そして、ハインリヒは何事もなかったかのように静かに背中を見せた。

持っていたシャンパングラスをウェイターに渡して去っていくその様子に、男たちだけではなくフルアも呆気に取られる。
自分たちの命が風前の灯であったことに気付いていない男たちと並び、彼を見送ることしかできない。

(一体、どうして…。あれほどの怒りが消えるはずがない)

間違いなく、男は彼の逆鱗に触れたのだ。
鉄さえも熔かしてしまうかのように、怒りが煮えたぎっていた。
ポーカーフェイスの仮面の下で、憎悪を露わにしていたに違いない。
だが、彼は牙を見せることはしなかった。

何故、と遠くなっていくハインリヒの背中を見つめていたフルアは、ぞくりと全身の神経が戦慄くのを感じた。
それは、恐怖。
畏怖などという生易しいものではない。

(…あぁ、そうだ。何故、私は気付かなかった)

静かな怒りほど、恐ろしいものはないのだ。
声を荒げるでもなく、いっそ冷静だった彼の怒りは、彼の本性そのもの。
獲物を嬲り殺す残酷な獣のそれそのもの。

眼鏡の奥に潜むボトルグリーンの双眸に苦々しさを滲ませ、今更震え始めた指先を握り込む。
怖い、と本能が叫ぶ。
彼を腑抜けた獣だと謗った愚か者たちに見せつける前に、まざまざと見せつけられた。

(あの人は確かに変わったが、やはり本質は少しも変わってなどいなかった)

恐怖の中に高揚感を見つけ、僅かに口角を上げる。
そして、フルアは生き長らえた男たちを一瞥することもなく、彼を追った。

「…ボス、」

しかし、怒りの炎が鎮まったわけではない背中に迂闊に近寄ることには躊躇してしまう。
常よりも幾歩か下がった位置を保ち、冷静を装った声で呼びかける。

「帰る」
「…承知いたしました」

諾以外に、何と言えただろう。
スタスタと淀みのない足取りでパーティー会場の出口に向かうハインリヒを引き留めることなど誰にできただろう。

それでも、秘書としての意地かプライドか。
動揺する心とは別の場所にある冷静さが、上司の意を汲み取ろうと動き出す。
護衛として会場の出入口で待機していたグラースが予定外の上司の行動に訝しそうな顔を向けてくるが、車の用意を、とだけ一方的に告げる。
反射的に駆け出して行ったグラースを追うように、一言も発することなくエントランスを横切るハインリヒを追う。
そうして彼が車寄せに辿り着く寸でのところで、グラースが運転する黒塗りの公用車が滑り込んできた。
もはや習慣と化しているからなのか。
脳の指令などなくとも自然と身体が動き、後部座席のドアを開けていた。

「出せ」

短い、命令。
慌てて助手席に乗り込んだフルアの耳朶を、その冷たい声音が貫く。

「だ、出してください、グラース」
「…は、はい」

明らかに常とは違う上司の重たく刺々しくさえある空気を感じているのか、ステアリングを預かるグラースの横顔に緊張が走る。
些細なことで動揺するような軟な神経ではないと自負している自分とグラースでさえも、背後にあるピリピリとした空気に平常心ではいられない。
取り返しのつかないミスを犯した部下を厳しく叱咤する姿を見ることは稀だとは言え、これほどの緊張感に支配されたことはなかった。
いっそのこと、声を荒げて激昂される方がどれほど気が楽だろうか、と思ってしまう。

「……胸糞悪ぃ…」

びりっと全身に電気が走ったかのような緊張感が圧し掛かる。
後部座席に深く腰掛けて懐から取り出した煙草を咥え、煙と共に忌々しげに吐き捨てられた悪態に思わず顔が強張ってしまう。
グラースの顔が青ざめているのは、気のせいではない。
怒りにまかせて目の前にある助手席のシートを蹴られた方がまだマシかもしれない、と気付かれないように小さく息を吐き出す。

「あ、あの…フルアさん?」
「…少々嫌な思いをされたんです」
「はぁ…」

こっそりと問うてきたグラースの釈然としない顏に、それもそうだろうと思う。
他人の罵詈雑言に顔色を変えるどころか、他人の評価など耳にも入れない男であることは十分理解している。
そんな男が、パーティー会場で何者かに罵られた程度でこれほど深い怒りを露わにするはずがないのだ。
そう、自分が罵られた程度では。

青ざめながらも、何かに思い当たったらしいグラースがステアリングを繰りながらちらりと視線を投げかけてくる。
長年彼に仕えてきた経験は、伊達ではない。
グラースに「そうだ」と答える代りに小さく頷き返し、バックミラー越しにハインリヒを見る。
長い足を持て余すように組み、苛立ちを隠そうともしないで煙を吐き出している。

「……よく、堪えられましたね…」

思わず、ぽつりと零す。
鎮火していない怒りの炎が宿る双眸が自分に向けられ、口端が引き攣る。

だが、当のハインリヒは運転席と助手席の部下2人が自分の放っている空気に緊張していることなど気付いていないようで。
肺にまで送り込んだ煙を吐き出した。

「あんなクズに付き合っていられるほど、俺は暇ではない」
「そ、そうですね…」

男の暴言は、フルアにとっても許し難いものであった。
だが、感情論だけで動けるほど、彼も自分も自由な身ではない。
株主の存在が重要視されているビジネスの世界で、その株主の中でも上級に位置する男に牙を突き立てることが容易に許される立場ではないのだ。

止めることはできない、と悟り、あの場では諦めてもいたが。
権力者としての自制心が残っていたのか、それとも、彼の言葉通り、相手にするまでもないと見限っただけなのか。
どちらにせよ、彼が暴挙に出ることなく、形だけは治まったことに安堵しているのも事実。
だからこそ、荒れ狂った獰猛な獣をよく抑えられたものだ、と思ってしまう。

「だが、」
「はい?」
「アルを貶めた愚行は後悔させる。いずれな」

シニカルな笑みを口端に乗せたハインリヒをバックミラー越しに見てしまったフルアとグラースは、あぁ、と否応なく悟る。
静かで、とても冷静な彼の深い怒りは。
あの喉元に喰らいつき、絶望のどん底に突き落とすまでは決して鎮まることはないだろう、と。

そうだ。
あの青年を護るためならば世界を敵にすることも厭わない、と言い切るほどに情熱的なこの男が。
愛する者を、聖域を穢されたことを、許すはずがない。

一層青ざめたグラースの隣で、フルアもまた、己が青ざめていることを自覚する。
敵にしてはいけない男を敵に回してしまった愚かな者たちに同情する余地はない。
だが、楽に止めを刺してやるような優しさなど持たない獣の牙にじわじわと苛まれるだろう光景を思い浮かべ、憐れには思う。

「…と、とりあえず今日のところはご帰宅ください。お疲れでしょうから…」

本能的な恐怖で微かに声が震えてしまうのを隠す余裕もなく。
強張った表情のままステアリングを繰るグラースに「安全運転」と声を掛けてから、懐から携帯電話を取り出す。
ボタンを押す指が冷え切り、上手く動かせなかったことは言うまでもない。


Prossimo


web拍手 by FC2



スポンサーサイト
管理者にだけ表示を許可する

この記事のトラックバックURL

http://storiaeterna.blog10.fc2.com/tb.php/270-022b5baa

  


  一行の物語(1h毎に入替)

頁の外にある物語(小話部屋)

小ネタブログ[eterna allegato]

もう1つの物語(創作BL小説)

創作物語の別巻ブログ[arcobaleno]

  「物語」の頁を繰る人々

  

Designed by

Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。