バッカナールに愛の旋律を添えて Parte inferiore

触れることが怖い、と思ったのは初めてだった。
触れたい、と相反する渇望に飢えながら、伸ばした手を何度引き戻したことだろう。

だからこそ、初めて触れた日のことを今でも鮮明に覚えている。
滑らかな肌の感触も、指先に伝わった体温や鼓動のリズムも。
あの頃から変わらないそれを感じながら、ハインリヒは美術品を愛でる愛好家のように、目の前に晒された肢体を見つめた。

「綺麗だ」

薄っすらと朱に染まる肌に唇を落とし、華を咲かせていく。
それは、醜い欲求を満たすための所有印ではない。
彼のために贈る華だ。
一心に彼を想い、言葉では伝えきれない感情をそこに刻んでいく行為。

左胸に。
心臓の真上に、一際鮮やかに咲いた赤い華を指先で撫でる。

「あ、あまりじっと見ないで…恥ずかしいよ」
「恥ずかしがることはない。綺麗だ」
「…ハインが一番恥ずかしい…」

赤く染まった顔を隠そうと枕を手繰り寄せるが、無情にもそれは奪われる。
もっとよく顔を見せろ、と言わんばかりに両頬をハインリヒの掌に包み込まれた。

限界まで落とされた小さな明かりが、黒色に近い彼のブラックサファイア色の瞳の中に沈んでいる青石を照らし出す。
空よりも澄み、海よりも深い青色。
凪いでいるようでいて、ひどく凶暴な色。
ギラギラと輝くその光に、アルフレードは己の鼓動が跳ね上がるのを感じた。

自分を求められている、という事実が。
激しく欲せられている、という事実が。

(嬉しい。何て思っている自分も十分恥ずかしいかも…)

熱いと感じるほど頬が朱に染まる。
じんわりと滲む視界の中で、ハインリヒが口端を緩く上げた。
守護者から、捕食者へと顔を変える。

それは、ひどく官能的なもので。
無駄のない筋肉に覆われた肢体から匂い立つ色香が、アルフレードの鼻腔を擽る。
薄い唇が名前を紡ぎ、長い指が触れてくる。
乱れて額に落ちた黒髪1本にまで愛しさが込み上げてくるのだから堪らない。
じん、と指先が痺れ、血液がもの凄いスピードで身体中を巡る。

「今日はまた随分と可愛い反応だ。どうした?」
「は、はいんのせいだもん…」
「俺?」
「ハインが、オレを愛してくれるから…」

消え入りそうなほどに小さくなっていく語尾に思わず笑いそうになりながら、告げられた言葉にハインリヒは瞳を細める。
愛しい、と込み上げてくる想いを抑えられるはずがない。
人間はこれほどに深く、そして、際限などなく他者を愛することができる生き物なのか、と思う。
それこそ、己自身に恐怖するほどに。

(愛しい…)

何度身体を重ねても、思うことがある。
彼は今、どれほどの勇気を持って自分の手を許容しているのだろうか、と。
凶器でしかなかった他者の手を。
狂気でしかなかったこの行為を。
許すのにどれほどの勇気が必要なのだろうか、と。

それは恐らく、生半可なものではないだろう。
想像を絶するほどの恐怖を克服し、勇敢な戦士が畏怖するほどの勇気を必要としたことだろう。

傷付けることを恐れ、幾度となく引き戻してきた手を改めて伸ばす。

「一体どうすれば全て伝えきれるのだろうな」
「ハイン?」
「これほどに愛しているというのに…言葉はひどく不自由だ」

夜の耽美な気配を纏いながら、頬に触れてくるハインリヒの手つきはあまりにも穏やかで。
アルフレードは、我が子に触れるかのようなその慈しみに満ちた彼の手に己のそれを重ねた。

「想いを伝える方法は言葉だけじゃないよ。こうしているだけで、オレにはちゃんと伝わるから」

幾千の言葉よりも、一触れで救われることもある。
言葉のない時間に救われた夜が、何度あったことか。
ただ抱きしめられているだけで。
ただ傍にいるだけで。
たったそれだけのことが、この世に溢れる言葉を遥かに上回ることがあるのだと知っている。

アルフレードはそう続けながら、両腕をハインリヒの首に回した。
引き寄せれば、それに素直に従って距離を詰めてきた彼のブルーサファイア色の双眸の中に自分が映り込んでいるのがはっきりと見て取れる。
吐息が混ざり合うほどの距離。
それを更に詰め、睫が触れ合うギリギリの位置で見つめ合う。

「たくさんの言葉なんて要らないよ」
「伝わるから?」
「うん。心の一番深くて柔らかいところに届くから」

触れるか触れないかの際にあった唇を、重ねる。
焦点の合わなくなった瞳を閉じれば、触れ合う唇の熱が鮮明になった。
視覚から得る情報を失い、他の感覚が本来の性能を取り戻していく。

促されるまま唇を軽く開けば、すかさず忍び込んできたハインリヒの舌がアルフレードのそれを捕える。
微かな煙草の苦み。
ウィスキーの深い香り。
そして、ビターチョコレートのほのかな甘みが口内に広がる。

「ん…、」

無意識に逃げれば追われ、一層絡め取られる。
だが、呼吸を奪うような乱暴なものではなく。
呼吸を共有するかのようなその口付けに、指先が痺れる。
ハインリヒの首に回した腕からは力が抜け、辛うじて引っ掛かっているようなもので。
唇が離れ、ハインリヒが半身を起こした拍子にぱたりとシーツの上に落ちた。

飲み込み切れなかった2人分の唾液で濡れた口端を親指の腹で拭われることですら、淫靡な熱を齎す。
下肢に集まっていくそれをどうすることもできずに、アルフレードは視線を彷徨わせた。
それが、ハインリヒの中に棲む獣の空腹を刺激することになるとも知らずに。

ごくり、と喉仏が上下する。
それはまさしく、獣が獲物を前に舌なめずりするような獰猛さを孕んだもので。

「アルフレード、」

ひどく、喉が渇く。
炎天の砂漠に放り出された旅人のように、胸を掻き毟りたくなるほどの激しい渇きと飢えが襲い来る。
ないはずの牙が、疼く。

(これでは、欲望に忠実な獣そのものだな)

それとも、血に飢えたヴァンパイアか。
どちらにせよ、ロクでもないなと自嘲を内心で落とし、理性を掻き集める。

傷付けるわけにはいかない。
傷付けたいわけではない。
痛みなど与えたくない。
そう己に言い聞かせ、疼く牙を誤まって彼の首筋に突き立ててしまわないように、再度唇を重ねる。

「ん…ふ、ぅ…んんー、」

朝摘みの白薔薇によく似た甘い香りが、鼻腔を擽る。
決して人工では作ることのできない、凛と静謐でありながら優しく繊細でしなやかな香りだ。
催淫効果のある媚薬のように、その香りは容赦なく熱を煽る。

「ふ、は…っ、ん…はい、ん、ちょ、ちょっと待って…っ」
「待てない」
「ふ、服…ぁ、ふく、脱いでな…」
「悪いが、そんな余裕もない」

口内への愛撫を続けながら、片手で器用にアルフレードのトラウザーズの前を寛げる。
その中で窮屈そうにしていた彼の熱に直に触れれば、細い肢体がぴくりと跳ねた。

「ぅ、あ…や…っ」

形の良い耳たぶを甘噛みすれば、掌の中で彼の熱がふるりと切なげに震える。
蜜を零す先端を指の腹で撫で、わざと音を立てる。
快楽に溺れまいと抗い、シーツの上を彷徨っていた手を掴む。
細い指の関節を、爪の形を、指の間を、掌に刻まれた皺のひとつひとつを愛撫するように触れ、撫でる。
もう片手で、彼の熱を解放へと促しながら。

「あ、っ…んッ…ふ、んん、も…や、だ…ぃ、く…」
「あぁ、いいぞ」
「ん…ッ、ぁ…は、ふ…んんっ」
「アル」

しとどに濡れた熱を掌全体で愛撫しながら、次から次へと蜜を零す鈴口に爪を立てる。

「んっ、あ…や、も…あ、あぁ…ッ」

一際大きく跳ね、細い肢体が強張る。
そして同時に、熱が爆ぜた。
己の腹にその熱い飛沫が掛かるのを感じて、ハインリヒはくっと口角を上げる。

自らの意思で“出す”のではなく、他人の意思で“達かされる”という感覚。
それは決して、快楽的なものではない。
自己を否定され、蹂躙されることにも等しい。
恐怖を感じないはずがない。
身体の自由を奪われ、拒絶も踏み躙られて凌辱された彼にとっては尚のこと。

だが、力の入らない手でそれでも自分の手を掴んでくる彼に、安堵と優越感が込み上げてくる。
彼は、自分の手だけは拒まない。
許されている、と。

「アル、アルフレード」

これは、ただのセックスではない。 
欲求を満たすためだけの行為ではない。
生殖本能によるものでも、愛を確かめるだけのものでもない。
非生産的で愚かなことだと罵られたとしても、自分たちにとっては間違いなく何よりも正しい行為なのだ。

単純な言葉で理由付けられるほど生半可なものではない、とアルフレードの手をしっかりと握る。
ありったけの勇気を振り絞り、伸ばし合った手を。

「…どうしたの。泣きそうな顔、しているよ」
「幸せだからだ」
「そっか」
「アルは何故泣いている」
「幸せだからだよ」
「そうか」

熱の放出の余韻は冷めるどころか、身体の中からじわじわと侵食していく。
与えられる快楽に慣れなくとも、求められることには慣れた身体が再び熱を持つ。

「オレをぜんぶ、ハインにあげるから…だから、もっとちゃんとハインに触れられたい」

暗闇の中でギラギラと光る獣の瞳が、真っ直ぐに自分を見る。
それは、捕食者が非捕食者を捕えた眸。

繋いでいた手が解かれ、その手が半ば脱げていたシャツを乱雑にベッドの下に放る。
目の前に惜しみなく晒された肢体に、アルフレードは無意識に触れていた。
手の届かない場所で時代を見つめてきた神話の神の彫像。
それが今、触れられる場所にある。
血が通い、体温を宿す美しい肢体の形を確かめるように、筋肉の流れに沿って指を這わせる。

「Che bello…」(綺麗…)

荒野を駆ける獅子の雄々しい姿が、一種の造形美でもあるように。
命に形があるのだとしたら、彼のそれはきっと完璧な円を描いているのだろうと思う。

そして、彼は。
そんな完璧に美しい球体を躊躇なく叩き割って、欠片を分け与えてくれる人だ、と。
罅割れ、歪な形をした不完全な自分の球体を埋めるように。

万人に優しいわけではない。
誰にとっても正しい人ではない。
だが、自分にとっては。
真実優しく、真実正しい人。

「Il mio diletto」

ハインリヒの噛み付くような口付けを受け入れる。

そう、これはただのセックスではない。
奪い、奪われ、与え、与えられることを許容し合う手段のひとつ。
愛する人を傷付けるかもしれないという恐怖と戦い、勇気を持って、傷付ける覚悟を胸にしめて、相手を赦すという行為だ。

「あぁ、俺の天使。チョコレートよりも甘い愛を贈ろう」

幾度目かの口付けは、優しいもので。
甘い甘い、ミルクチョコレートの味がした。




「…ん、」
「アル?起きたのか?」
「……はぃ、ん…」
「…ふっ、寝言か」

赤く熟れた唇が紡いだ己の愛称に口許を綻ばせ、ハインリヒは額を隠す金糸の前髪を指先で払う。
その指先で情交の余韻を色濃く残している眦に触れる。
無意識に擦り寄ってくるアルフレードの仕草に瞳を細めながら、片手に持ったままだったボトルを傾けた。

水晶のように澄んだ氷の上に、上等な琥珀を溶かしたかのようなウィスキーが注がれる。
ロックグラスを満たしたそれはベッドサイドに置かれたシェードライトの淡い明かりに照らされ、独特の色合いになる。
彼の瞳の色によく似ている、と口端に乗せた微笑を深くし、グラスに口を付けた。

だが、ふと。
何かが違う、と首を傾げる。

「美味いことは美味いが…」

元より、酒には酔えない。
酔えない身体を恨めしくさえ思ったこともある。
しかし、この琥珀色の液体だけは、そんな自分をバッカスの宴に誘ってくれる気がしていたのだが。
喉を焼くアルコールが、ただ臓腑に染み込んでいくだけ。
グラスの中で泳ぐ氷を何とも無しに見つめながら、口内に残ったウィスキーの香りを追う。

だが、やはり酔えそうになく。
気のせいだったか、と微苦笑を落としかけたとき。
不意に、アルフレードが身じろいだ。
そして、寝息に掻き消されるほどの小さな寝言を紡ぐ。

「はいん、てぃ、あー、も…」

その途端。
口内に、花のそれによく似た甘い香りが広がった。
朝積みの白薔薇の香りだ。

「…あぁ、そういうことか」

これこそまさに、極上の酒の楽しみ方だな。
そうほくそ笑み、琥珀の液体を嚥下する。
そして、薄く開いたアルフレードの唇に己のそれを重ねた。
先ほどよりも強く、確かに甘味が広がっていく。

「お前はチョコレートよりも甘いな。酔いそうだ」

彼が目覚めたら、何と告げようか。
陳腐な言葉しか思い浮かばないが、それでも。
持ち得る全ての言葉を使って伝えよう。
チョコレートよりも甘い愛しい人に、最大の愛を。

そして。
心地良い酔いに身を任せ、ハインリヒはグラスを傾けた。
愛しい人と過ごす極上の時間を齎したウァレンティヌスとバッカスに感謝を、と。

  痛みを伴う幸福に酔いしれる者に、乾杯!


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***
何がどうなったのかただいちゃついているだけになったミラクルを起こしたのは誰だ。
はい、私です。

いや、別館にね、やるときしかやらない社長×おかんな秘書が居るんですよ。
で、その社長は「相手から与えられたものを更に奪うタイプ」で。
ハインは「相手から与えられたもの以上のものを与えようとするタイプ」で。
嫁からぐいぐい奪っちゃう駄目社長は書いたので、嫁に(精神的なものを)与えまくるこっちの社長も書いておかねばと思いまして。
そうしたら、こうなりました。

何はともあれ、ハッピーバレンタイン!

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