Obstkern

「アルフレード、」
「食べたくありません」
「お前、昨日も何も食べていないんだぞ」
「…お腹、減っていません」

幾度同じことを繰り返したか、数えることはすでに放棄した。
だが、諦めたわけではない。
この先、何百回と同じことを繰り返すとしても。
自分だけはまだ諦めて堪るか、とダイトは目の前に座って俯いている少年を見つめる。

「アルフレード」

スプーンに触れることもしない少年に、わざとらしくため息を吐く。

「アルフレード」
「……」
「確かに栄養は点滴でも取れる。でもな、食事はそのためだけのものじゃないんだぞ」

簡単に手折ってしまえそうなほど細い腕に残る、点滴の跡。
あまりにも華奢な薄い身体に巻かれている、白い包帯。
痛々しいその姿に、目を逸らしたくなる。
だが、自分だけは、とダイトはアルフレードの旋毛を見つめる。

「アルフレード、」

ふるふると首を横に振る少年に、ちょうどいい温度に冷めたシチューを掬う。
柔らかく煮込んだ鶏肉と季節の野菜をたっぷりと使った、手製のクリームシチューだ。
妻子もいないというのに。
いつのまにか子供が好む料理のレパートリーばかりが増えていく、と内心で苦笑しつつ、アルフレードにスプーンを差し出す。

「これもリハビリだぞ」
「……」
「…辛いよな」
「……」
「だが、俺はこれ以上お前が苦しむ姿を見たくない」

無理矢理食事をさせたところで、彼はそれを吐いてしまう。
身体は本能的に欲しているだろうに、心が拒絶しているのだ。
まるで、生きることを拒むかのように。

身体の傷は時間の経過と共に少しずつ癒えている。
だが、心の傷は今も血を流している。

「少しずつでいい。少しずつ、取り戻していこう」
「…せん、せ…」
「吐くのも辛いよな。だが、空腹を感じないままなのはもっと辛いよな」

生きていく上で必要な欲望。
それを感じないということは、生きることに希薄になっているということ。
生きようともがいているこの少年の乖離してしまった部分は、すでに生きることを諦めてしまっているということ。
大きな矛盾を抱え、彼が苦しくないはずがない。

「せんせい…」
「あぁ、大丈夫だよ」
「…ごめんなさい、先生」
「大丈夫だ。ゆっくりでいいからな」

スプーンを持っていない方の手でアルフレードの頭をくしゃくしゃと撫でる。
こうして手を伸ばしても怯えなくなったのは、つい最近のこと。
触れられるようになるまでに、幾度拒まれたことだろう。

「…戻りたい」
「あぁ、戻れるよ」
「先生、」
「ん?」

俯いていた顔が、ゆっくりと上げられる。
幼い瞳。
だが、確かに意思を感じさせる鳶色の瞳が、真っ直ぐにダイトを映す。

「生きたい」

そうして、何気なく、それこそ独り言のように呟かれたその言葉に、ダイトは目を瞠った。
それは、この少年から聞いた初めてのもので。
心が、震えた。
あぁ、助けてよかった。
助けられてよかった、と。
大きく乖離してしまったもう1人の自分の影に必死に抗うその姿に。
食事を拒みながら、それでも、必死に生きようとするその姿に。
目の奥が、じんと熱くなる。

「…あぁ、生きよう」
「うん」
「難しいことは考えなくてもいい。とりあえず、生きてみよう」
「…うん」

生きている意味も生まれてきた理由も生かされている根拠も、今は必要ない。
心臓が動いている、ただそれだけ分かっていればいい。

「それだけで、いいんですか?」
「十分だ。今は、生きていることを忘れなければ、それだけでいい」

じっとスプーンを見つめていたアルフレードが、徐に恐る恐る口を開けた。
雛鳥のようなその姿に思わず口許が緩む。

「少しずつでいいからな」
「うん」

ゆっくりとシチューを咀嚼するアルフレードを見つめ、ダイトは「諦めて堪るか」と再度内心で自分自身に告げる。
生きたい、と願うこの少年が歩む道程は決して平坦ではない。
この先、彼はその願いを諦めるかもしれない。
それでも、自分だけは諦めはしない、と。

「明日は何が食べたい?」
「えっと…考えて、おきます」
「あぁ、何でもいいからな」

柔らかな金糸の髪をくしゃくしゃっと撫でてやれば、擽ったそうに小さく笑みを浮かべる。
その笑みがもう二度と翳らないように。
かつてのそれを取り戻せるように。
祈らずにはいられない。

そして、想う。
どうかこの少年が歩む未来に、笑顔に溢れた幸福な晩餐の時がありますように、と。

  いつか芽吹く果実の種を胸に、いまはただ生きろ


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***
先生の覚悟もまた生半可なものじゃないと思うんですよ。
医師として誰かの命を背負うのではなく、人として人の命を背負う。
それは多分、親が子の命を背負うのに似ていて、それくらいの責任と愛情がいるものだと思う。

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