Wanderlied

「Ade nun,ihr Lieben! geschieden muß sein.」 (いざさらば、愛しき者たちよ! 別れねばならぬ)

最初は、気のせいかと思った。
しかし、気のせいにしてしまうには惜しいほど心地良い音に、キーボードを叩いていた手を止めて耳を澄ます。

それは、開け放たれていた窓の向こうから聞こえてくるもので。
微かな音だったものが、確かな旋律へと変わる。
耳朶に心地良い穏やかでいて、芯のある凛とした声音。
聖歌を紡いでいるかのように優しげな声音で紡ぎ出される歌に誘われるように腰を上げ、バルコニーに足を向ける。

「Es treibt in die Ferne mich mächtig hinaus.」(遥か遠くへと私は力強く誘われるのだ)

雲ひとつないコバルトブルーの空の下。
バルコニーの柵に身体を預けているアルフレードを見つける。
燦々と降り注ぐ陽光を浴びている後ろ姿はどこか儚げで、しかし、とても美しく。
声を掛けることが憚られ、足を止めた。

「Die Sonne,sie bleibet am Himmel nicht stehn…」

“太陽はこの空にじっと留まっていることなく、大地や海を越えて進みゆく”
“大波は寂しい砂浜にしがみつきはしないし、嵐は力強く国中を吹き荒れるのだ”

彼の母国のものとは大きく異なる言語だ。
しかし、はじめから彼のものであったかのように、彼が紡ぎ出すその音は心地良い。
旋律を指先でなぞるように、言葉の意味を追っていく。

「Mit eilenden Wolken der Vogel dort zieht,Und singt in der Ferne ein heimatlich' Lied,」
(急ぎ行く雲と共に鳥は渡ってゆき、はるか彼方の地で故郷の歌を歌う)
ふわり、とひどく優しげな風が吹き、アルフレードの金糸の髪と遊ぶ。
陽光を食んだそれが煌めき、白いシャツの裾が、まるで天使の羽のようにひらりひらりと舞う。
その眩しさに思わず目を細め、綺麗だ、と純粋に思う。
姿形だけではなく。
その在り方が。
魂が。
命の色が。

「Da grüßen ihn Vögel bekannt überm Meer,Sie flogen von Fluren der Heimat hierher;」
(見知った鳥たちが海の彼方で挨拶をする。彼らは故郷の野原から飛んできたのだ)
歌声に誘われたのか。
それとも、導かれてきたのか。
一羽の鳥が、アルフレードの傍らに降り立った。
コバルトブルーの羽を畳み、陽気な旋律に加わる。

あぁ、もしかしたら。
この鳥は、彼の故郷からやって来たのかもしれない。
飛び立ってしまった彼を探して、故郷を捨てて。
そして、この風もまた。
彼をこの地へと運んだあのときの風なのかもしれない。
傷付いた羽で、それでも懸命に羽ばたく彼の背を押し、寄り添い、今もまだ傍にいる向かい風。

「So wird ihm zur Heimat das ferneste Land.」
(こうして彼にとってもその遠い土地が故郷となるのだ)
旅人の覚悟を歌った詩。
それを聞き届け、鳥は再び羽を広げた。
そして。
新たな故郷を見つけた彼の頬を撫でるように、穏やかな風が吹いた。

  さすらいの歌を口遊み、旅人は向かい風を見据えた


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***
リリカル☆ハイン

……思った以上に笑えない字面になって戦慄しています。

*[さすらいの歌](ケルナーの詩による12の歌曲:作品35より)
ドイツ人作曲家、ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann)の歌曲。
快活で陽気なシューマンの一面が出た爽やかな歌。
新天地へと今や旅立とうとし、そして、その地に骨を埋めて二度と戻らない覚悟を歌ったもの。
弾けるような明るさが印象的で、歌曲集の中でもしばしば単独で歌われる曲のひとつになっている。


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