ブラマインティマの花束を添えて Parte superiore

渇きと飢えを満たすために生きるのが人間だと言うのなら。
その渇きと飢えを知ってこそ、人はようやく“生”を生き始めることができるのかもしれない、と。
ふと、そう思った。




「何をしているの?」

ソファの背後からひょいっと覗き込んできたアルフレードの好奇心に弾んだ声に、ハインリヒは小さく笑った。
鳶色の丸い瞳は興味津々と言わんばかりに輝き、自分の手元を見つめている。
仔猫や幼子が初めて目にするものを前にしたときのようなその反応に、口許はつい緩む。

「おいで」

手招いてやれば、嬉々とした様子でソファを回り込み、隣に腰を下ろす。
ぴったりと密着するわけではないが、服越しでも互いの体温が感じられる距離。
それが互いにとって最も心地良く、安息できる絶対的な距離になったのはいつからだったか。

いや、“いつからか”ではなく。
太陽と地球の絶妙な位置関係のように。
それはもう、奇蹟的な確率と言っても過言ではない完璧なバランスで、そう在ることが自然だったのだ。
意図してできるものではない。
出逢った瞬間から。
あるいは、出逢う遥か以前から。
無意識的に。
そして、必然的に。
最初から定められていた2人の距離。
手を伸ばせば触れられるこの距離は、たとえ真に“神”と呼ばれる者にでさえ操作できないものだ。

(たとえ、そいつの思い通りになったとしても従うつもりは毛頭ない)

抗い、牙を剥き、剣を突き立てることに躊躇はない。
戦う覚悟などとうにしているのだから。

傲慢だと謗られようが、そのときは。
そのときは、何を犠牲にしても護りたいと希う存在がお前には居るのかと嗤ってやろう。
敵わぬ敵だと知りながら、共に戦う者が居ることを誇らしげに見せつけてやろう、と。
思わず零れた微笑が口端に乗る。

「なぁに?」
「…いや、何でもない」
「でも、今すごく優しい目をしていたよ」
「そうか?それなら、アルのことを考えていたからだな」

シャツの袖を数回曲げ、露わになったハインリヒの腕は適度な筋肉に覆われている。
それが伸ばされ、アルフレードはくしゃりと髪を撫でられる。
後ろへと撫でつけるように梳かれ、前髪で隠されている額が晒された。
迷わずにそこへと彼の唇が触れ、擽ったさと面映ゆさに曖昧な笑みが零れる。 

一見すると、気障な仕草だ。
しかし、それは呼吸をするよりも自然な動きで。
深甚なまでに自分の存在が彼の心の奥底に入り込んでいるからこそ、彼の動きは一切の迷いと躊躇がない。

「ハインに意識して口説かれたら、大変なことになりそう」
「ん?」
「ハインを好きになり過ぎちゃって、他に何も考えられなくなりそうだもん」
「それは、本気で口説かないといけないな」

悪戯っぽく笑うハインリヒの悪戯好きな手を捕獲する。
節だった男らしいそれを両手で挟み込み、目の前に翳して掌を合わせた。
間接1つ分以上は長い指は、決して無骨というわけではない。 
だが、繊細というわけでもない。
キーボードの上を軽快に踊り、膨大な書類を捲り、人を導く指だ。

「綺麗だよね」
「何がだ?」
「ハインの指。オレね、ハインの指が好きなんだ。彫刻みたいで、こうして触るのすごく好き」

ディオユニソスみたい、と手の甲に薄っすらと走る血管を指先でなぞるアルフレードを視界の端に入れながら、ハインリヒはそっと天井を仰いだ。

パルテノン神殿の破風彫刻。
葡萄酒を並々と注いだ盃を掲げる神は、そこに居る。
彼は長い年月を陽光の下で過ごし、風雨に晒され続けてきた。
しかし、その彫像は今もなお古代ギリシア彫刻の最高傑作の1つに数えられている。

アルフレードは度々、自分をその彫像に譬えることがあった。
決まって、蕩けるような微笑を浮かべながら。

(どんな顔をしているのか自覚がないのは、恐ろしいな…)

慕わしげに。
愛おしげに。
そして、情熱的に。

音楽家が、初めて出会う旋律に頬を紅潮させて耳を澄ます姿に似ているようで。
初々しい少女が、初めての恋に戸惑いながらも心を弾ませているかのようでもある。

(お前は俺をどこまで惚れさせる気だ?)

ちらりと視線を落とせば、左手の薬指を撫でるアルフレードの旋毛が見えた。
蜂蜜を垂らしたかのように甘い金糸の髪と同じ色をした長い睫を伏せ、穏やかな弧を描いている赤い唇に視線が引き寄せられる。

ぐるる、と獣の低い呻き声が聞こえた気がした。

「……アル、」
「うん?あ、ごめんね。擽ったかった?」
「いや…」
「どうしたの?」

邪魔だった?と首を傾げるアルフレードの仕草に。
真っ直ぐに見上げてくる鳶色の瞳に。
これ以上にないほどの愛しさが込み上げてくる。
愛らしいものや美しいものをただ愛でる、という陳腐な感情ではなく。
いっそ荒々しいほどのもので。

それを感じたとき。
己の中で眠っていた獣が発した空腹の訴えを、確かに聞いた。

「…今まで、」
「うん?」
「腹が減ったと感じることもなかった」
「え?」
「アルと出逢わなければ、俺は今も自分が空腹だったことに気付かずにいただろうな」

疑問符を飛ばしているアルフレードの丸い頭をくしゃりと撫でる。
こうして自ら手を伸ばし、触れたいと願った存在はたった1人。
己のテリトリーの中に躊躇なく招き入れ、手離したくないとまで希った存在はたった1人。
この青年だけだ。

「飢餓を感じられないほどに飢えていたのだと、アルに教えられた」

少年と言うには艶やかで、青年と言うには繊細で。
幼さの中に目を瞠るほどの妖艶さを調和させているアルフレードの頬を撫でれば、小動物のようにその掌に擦り寄ってくる。
それがまた幼稚なようで、熱を煽るには十分で。
見上げてくる瞳の中に熱情が溶けていくのを見つけ、息を飲む。

一方で、ハインリヒの喉仏が小さく上下したその様にアルフレードは己の指先がジンと痺れるのを感じた。
触れ合っている肌が、熱い。

「…さすがに、拙いか」
「何が?」
「ここでがっつくのは、な」

思春期の子供ではあるまいし、と苦笑するハインリヒに、アルフレードは口端に微笑を乗せた。

いまだ、行為そのものに慣れることはない。
だが、一心に求められれば、捧げたいと思う。
全てを曝け出して、血の一滴すらも残らないほど彼に捧げてしまいたい、と。
しかし、惜しみなく与えるだけではなく。

「ベッドで…ハインを全部ちょうだい」

地位も肩書きも柵もシャツと共に脱ぎ捨てて。
自分だけが見ることを許された、ハインリヒ・エアハルトという男の全てが欲しい。
武装を解き、無防備に晒された心が欲しい。

「ハインが欲しい」

愛とは、与え合うのではなく。
惜しみなく奪い合うものだ、と言った小説家がいた。
彼が選んだ愛人との情死という道は、その言葉を自ら体現したものなのだろう。
愛する人の命さえ欲し、そして、求められるまま己の命を捧げた。
決して美しいだけの死ではないが、もしもそう在れたなら。
それは、数多ある“幸福”というものの1つではないだろうかと思う。

(求められたらきっと、オレも簡単に全てを差し出してしまうだろうな)

限りなく黒に近い瞳の中に沈んでいたサファイアが熱情に溶かされ、蛍光灯の白々とした光の下で色彩を放つ。
獰猛な獣のそれによく似た鋭い眼差しに射抜かれ、非捕食者に逃げ道などもはやない。
いや、自ら足を止める。
孤高な獣の空腹を満たすことのできる唯一の存在であるという優越を感じながら。

そして、捕食者もまた。

「お前に、俺の全てをやりたい」

飢えた獣の牙の前に自ら立ち、首筋を晒す極上にして最愛の存在を一心に享受できる優越を。
ただただ、噛みしめた。




首に回された細い腕がしがみ付くように自分の頭を抱え込む。
熱い吐息が、首筋を擽る。

「アル、腕を離せ」
「…っん、や」
「嫌と言われてもな…このままでは辛いだろう?」

フルフルと首を横に振るアルフレードに苦笑し、ハインリヒは向き合って密着しているために自由が制限された手を何とか互いの身体の間に滑り込ませる。
すでに甘い蜜を零している熱に触れれば、それ以上に甘い吐息が耳朶を撫でた。

「ぁ、ふ…ッ」

押し寄せる快感に堪えようとしているのか。
無意識にぎゅうぎゅうと抱きついてくるアルフレードにまたひとつ苦笑を落とし、彼の背中を撫でていた左手を背骨に沿って下ろしていく。
そうして、尾骨に当たった手を更にその下方へと忍ばせて隙間を作り、蜜を掬い取って絡ませた指を滑り込ませる。

「アル、少し腰を浮かせられるか?」
「ん」

素直に従うアルフレードのいじらしさに己の体温が上がるのを感じながら、ハインリヒは蜜を纏った指を彼の秘所に宛がった。
最初は円を描くように。
徐々に深く。
指先を、埋める。

「っ、ぁ…」
「アル、息を詰めるな」
「ふ、ぅ…っ」
「増やすぞ?」

コクン、と小さく頷いたアルフレードの呼吸に合わせ、付け根まで秘所に埋めた中指で襞を軽く引っ掻きながら、第二関節まで緩く挿抜させる。
そして、幾分か抵抗感のなくなったそこに、人差し指を足し入れた。

その2本の指は、無造作に内部を侵略するのではなく。
明確な意思を持って内壁を撫で、ときに引っ掻き、いっそもどかしいと思わせるほど丁寧な愛撫を施す。
行為そのものにはいまだ慣れず、じわじわと蝕むように押し寄せてくる快感にも慣れない。
だが、“彼”を受け入れることには慣れた身体が浅ましくそれを求め始める。
もっと。
もっと深くへ、と。

「はい、ん…も、へーきだから…っ」

このままで、と吐息と共に零された一言に、ハインリヒは何とか抑え込んでいた空腹な獣が限界だと上げた咆哮を聞いた。
上手く力が入らないのか、半ば縋りつくような形で抱きついてくるアルフレードの身体を支えながら、指を引き抜く。
鼓膜を掠めた微かな嬌声に、ただでさえ行き場のなかった熱が上昇する。

「挿れるぞ。力を抜けるか?」
「ん」

はふっ、と熱い息を吐き出すアルフレードの幼くも艶の滲む仕草に微苦笑し、限界だと訴え続けている己の昂ぶりを秘所に押し当てる。
指とは比べものにならないその質量に、アルフレードの身体が本能的に強張る。
本来、そこは受け入れるための器官ではないのだ。
侵入を試みる異物に身体が恐怖と拒絶に強張るのも当然のこと。

だが、それは一瞬のことで。
指によって解されたそこは、受け入れることに慣れた異物を招き入れるかのように柔らかく熱の先端を包み込む。

「っ、あ…ぅ、ん…ッ、」

ひどく甘い嬌声が、耳朶を犯した。
白い喉が晒され、その扇情的な色香を放つ姿に眩暈がする。
朝摘みの白薔薇のように、清廉で。
激しいほどに、美しい。

心臓から送り出される熱い血液が全身を巡り、全ての細胞が渇望する。
酸素でも水でもなく。
アルフレードという存在を。

(これほどの…悍ましいと思うほどの渇望を、知らなかった)

その喉元に喰らい付き、血の一滴まで奪い尽くしてしまいたいという暴力的な欲求。
渇きを満たせば、また新たな渇きを生む苦痛こそが渇望の本性だと言った哲学者がいた。
あぁ、まさにその通りだと思う。
飢えが満たされるときの充足感と幸福感は、一度知ってしまったら忘れることができない。
中毒者のように、更なる快感を求めて、のた打ち回る。

「…アルフレード」

衝動に身を委ね、下から突き上げる。
最初は緩く、徐々に激しく、深く。
アルフレードの熱い吐息が涙で濡れ、過ぎる快楽に抗い切れない細い身体が震える。
一際甘い声音で紡がれたのは、彼だけが呼ぶ己の愛称。

「はいん…ぁ、も…やぁ、あ…っ、ふ、あ…ァ!」

そして、ぴたりと抱き合い、触れ合う熱い肌に体温ではない熱を感じる。
白濁のその熱が腹部を濡らす感触に促されるように、ハインリヒはアルフレードさえも知らない彼の最奥に熱を放った。
最も深い部分で繋がりながら、いっそこのまま離れられなければいい、と思う。
いや、手離したくない、と。
ライナスの毛布のように、手離せない、と。

(これが執着というものならば、その本質はひどく醜いものだな)

だが、口端に浮かんだのは己に向けた嘲笑ではなく。
涙で濡れているアルフレードの長い睫に寄せた唇が象っていたのは。
まるで、この世界の幸福を掻き集めたかのように微笑むアルフレードの唇を塞いだ己のそれが象っていたのは。
ひどく穏やかで、優しげなものだった。


Prossimo


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