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ジュスティツィアの選択 80,000colpire記念

倫理、合理性、公正ないし衡平に基づく道徳的な正しさ。
秩序を守る盾にして、悪と戦う剣。
それを、多くの人々は“正義”と呼ぶ。

「けれど、それはとても変質しやすく、ひどく脆い」

辛うじて均衡を保っていた天秤の片方が傾きやすいように。
ほんの些細なことで、意味を変える。
“正義”から、“悪”へ。
あるいは、“悪”が“正義”に。

いや、それ自体が変質するのではなく。
柔らかく、容易に形を変えられるそれに手を伸ばす者が、まるで己が“正義”であるかのような顔をして、それの意図と意思を踏み躙るのだ。
昨日まで正しかったものを悪へと。
長らく悪だったものを、己の利益のために正義へと変えるのだ。

「故に、慎重に見極めなければいけない。真実、正しいものとは何かを」

神は、この世界を7日間で造り給うた。
宇宙の彼方には人智の及ばない神域が存在し、万物はそこに棲む者の意思によって生かされている。
神の子は人々の罪を背負い、信じる者を救う。
バイブルに記された言葉に偽りはなく、常に人々を善き道へと導く。

果たして、そうだろうか。
20億人が信じるその言葉は、真に正しいものだろうか。
1冊の本の中に綴られた幾億の言葉には、一切の過ちもないのだろうか。
神に似せて作られた不完全な生き物であるはずの人間が作った不完全な“言葉”という道具で、果たして神の言葉を真に正しく記すことができるのだろうか。
真に正しく理解することはできるのだろうか。

闇よりも深い闇色の祭服を纏った男は、静かにそう続ける。
穏やかなその声音は、凪いだ水面の上に波紋を描くことなく。
蝋燭の淡い光に包まれている聖堂の胎内に染み渡っていく。

「だからこそ、惑わされることなく、揺らぐことなく。見極める力を付けなさい」

ジェンダーに捕われることなく。
誰かが己の利益のために作り上げた固定概念に縛られることなく。
見極め、己が真に正しいと思うものを選び取りなさい。

祭服の胸元で揺れる十字架とは異なる意匠のそれを首から下げた幼子は、絵本を読み聞かせるような穏やかな声音で言葉を重ねた聖職者を見上げた。
丸く白い頬に影を落とす長い金糸の睫に縁取られた鳶色の瞳が、ぱちりと瞬く。
そうして、しばし無言の時が流れ。
やがて、幼子の熟れた苺のように赤い小さな唇が開かれた。

「しきょうさま、」

小さな花が綻ぶような愛らしい幼子の声音が、聖堂に満ちる静謐な空気に溶けていく。

「しきょうさま」
「はい、何ですか?」
「ぼくに、できますか?」
「えぇ、もちろんできますよ。あなたが勇気を失わない限り、必ず」
「ゆうき?」
「そうです。偽りの正論と戦い、真実を信じる勇気です」
「……」
「それはきっと、神を信じることよりも難しい。何故だか分かりますか?」

聖職者の問いに、幼子は首を横に振る。
その拍子に揺れた柔らかな金糸の髪が、幼子の頬を擽る。

「形のないもの、目には見えないもの、万人にとって等しい答えのないもの…。そういったものを信じることは、とても難しいのです」
「どうしてですか?」
「どれほど深く信じていたとしても、裏切られることがあるからです」
「…しきょうさま、かみさまもうらぎるのですか?」
「それが偽りの正義ならば、あなたを裏切るかもしれません。だからこそ、あなたはあなたが信じる正義を信じなさい」

こてん、と首を傾げる幼子に、聖職者は言葉を変えるでも説明を繰り返すでもなく。
懺悔に来た信者に説法するかのように穏やかな微笑みを浮かべ、幼子の金糸の髪を撫でた。

「あなたを信じる者の言葉を、信じるだけでいいのです」

慈しみに充ちた眼差しとその声音はひどく優しいもので、どこか懐かしく。
そして、同時に。
寂寥を呼び起こすもので。
幼子はその小さな手で、己の身体には余りあるロザリオを握りしめた。
無機物であるはずのそれに、優しい温もりを感じて。




「……ん…、ぅ…?」

最初に感じたのは、温もり。
次に、光。
そして、壊れ物に触れるかのように頬を撫でる手の感触。
馴染んだ香りが鼻腔を擽り、睡魔の手を振り解いたアルフレードは重たい瞼を押し上げた。

「アル」

耳に心地良い声音。
じんわりと伝わる掌の温もり。
微かな紫煙を感じる香り。
目を閉じていたとしても、瞼の裏に鮮明に描くことのできる微笑みと優しい眼差しを全身で受け止め、アルフレードはふにゃりと相好を崩した。
無意識に伸ばした己の手をすっぽりと包み込むそれに引き寄せられるまま、身を委ねる。

「おはよう、アル。よく眠れたか?」
「うん。おはよ、ハイン。あと、おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」

シャンプーだけではない甘い香りに口許に微笑を乗せたまま、ハインリヒは彼の柔らかな金糸の髪を梳く。
上質な絹のような手触りのそれを弄りながら、懐いた小動物のように擦り寄ってくる仕草に笑みを深くした。

淡い笑みを刷いたまま長い睫を伏せ、無防備に晒されたアルフレードのその端整な容貌に魅入ってしまうのはいつものことで。
そして、安堵することもまた。

(いまだにお前に拒まれることを恐れていると知ったら、お前は何と言うだろうな)

内心で嘲笑にも似た苦笑を落とし、頬に影を作る睫に縁取られた瞼の上に恭しく唇を落とす。

それは、まるで儀式のようでもあった。
他者の介在を許さない領域で執り行われる、神聖な誓いの儀式。
いや、まさにそうなのだと、ハインリヒだけが知っている。

(アルフレード…)

眠らないのではなく、眠れない。
それがどれほど辛いことなのか、想像することしかできない。
だが、「痛い」と言葉にすることにすら怯え、悪夢の伸ばす手から逃げることでしか己を護る術を知らなかったこの青年が無自覚に流す涙を何度も見てきた。
飲み込むだけで消化できなかった声なき叫びが溢れて形となり、その頬を濡らす様を何度も見てきた。
その度に繰り返してきた、ささやかな儀式。
祈り、とも言うべきか。

せめて、今だけは。
この瞬間だけは、優しい夢を。
奪われ続けてきた彼の両の手の中に、確かな安らぎを。
そして、この最愛の青年を護れますように。
意味などなかった世界と己の命に意味を与えたこの青年を、護りたい。

薬によって強制的な眠りに落とされたアルフレードの眦を濡らす涙を拭い取りながら。
何度、そう願い。
何度、祈り。
何度、誓ったことだろう。

「…アル、」

そして、今は。
人間をひどく恐れていた彼が、その繊細なテリトリーに踏み入ることを許した唯一の存在としての優越と歓喜を噛み締めて。
それを失ったときの絶望を隠すように、触れることを許された喜びを込めて同じ行為を繰り返す。

「ふふ。擽ったいよ、ハイン」
「お前が随分と可愛いことをしてくれるからな」
「え?」

不意に、アルフレードの真っ直ぐな眼差しが向けられる。
光を含んだそれは、心の奥底にひた隠しているものさえも見通してしまうかのようなもので。
心臓が、高鳴る。
何千の人間を導き、何億の金を動かすときにさえ感じたことのないこの鼓動を、緊張と呼ぶのだろう。
いや、動揺と呼ぶべきなのかもしれない。
冷酷無慈悲な王と畏れられている己が、何の力も持たないこの平凡な青年に、これほど心を乱されているなどと誰に想像できるだろうか。

過去の己にも想像できなかっただろう、と何度目かの苦笑を内心で落とし、ハインリヒは己の左手をそっと持ち上げた。

「ほら」
「なぁに?」
「何だ、本当に気付いていなかったのか。これだ」
「え?あ…」

アルフレードに見せつけるように持ち上げた左手。
そして、そこに繋がるハインリヒのものではない右手。
誰のものか分かり切っているが、アルフレードはそれを見つめ、ぱちくりと丸い瞳を瞬かせた。

「い、いつから…」
「昨夜から」
「さ、昨夜?」
「まぁ、時間で言うなら明け方か。帰ってきて、アルの様子を見に来たときにこの可愛い手に捕まった」

悪戯っぽくそう言うハインリヒに、「こうやってな」と繋がったままの右手を握りしめられる。
その力は決して強いものではなく、むしろ、捕われた左手は容易に抜け出せる程度のもので。
しかし、彼はそうしなかったのだ、と。
いつものように自分の隣に横になっているハインリヒの皺だらけのシャツとストラウザーが教える。

ネクタイとベルトだけは器用に片手で外したのだろう。
枕元に放られているそれが視界に入り、アルフレードは思わず口許を緩めた。
彼の服装は、朝見送ったときのそれと同じで。
言葉通り、彼は帰宅して真っ先に自分の元に足を運んだのだろう。
そして、そこで自分の右手に捕まった。
逃げようと思えばいくらでも逃げられたというのに。

「ずっとこのままでいてくれたの?」
「あまりにもぎゅうぎゅうと握ってくるものだから、離すのも可哀想でな」
「うわぁ…恥ずかしい…」
「可愛かったぞ」
「そ、それも恥ずかしいから…」
「今も可愛いがな」

繋いだままの手で己の顔を隠そうとするアルフレードの仕草に思わず笑みが零れた。

恥ずかしいと言いながらも、手を離そうとはしないいじらしさに。
無意識だからこそ、離れたくないと雄弁に語る健気な行為に。
愛しさが、募る。

「起こしてくれれば良かったのにー」
「何度か呼びかけたぞ」
「うぅ、どうして起きなかったんだろう、オレ…」
「夢を見ていたんだろう」

アルフレードの赤くなっている耳たぶに唇を寄せる。
手の下に隠していた顔をそろりと覗かせた彼の疑問符が浮かぶ額にも口付けをひとつ。

「お前の様子を見に来たとき、お前は胸元を握りしめていたんだ」
「?」
「どこか苦しいのかと焦って駆け寄ってみれば、お前はこいつを服の上から握りしめていた」
「こいつ…って、ロザリオ?」
「あぁ。夢の中で何かを願っているのなら、神ではなく俺に祈ればいいと思ってお前の手に触れたら捕まったというのが顛末だ」

どんな夢を見ていたんだ、と問われ、アルフレードはふと夢の中で感じた温もりを思い出した。
幼い自分の掌が感じた、あの温もり。
無機物であるはずのロザリオに宿っていた、あの優しい温かさ。
あぁ。
あれは彼だったのか、と思う。

「…そっか。やっぱり、ハインはどんなときも呼んだら来てくれるんだね」
「ん?」
「まだハインの名前を知らない幼いオレが、呼んだんだよ」
「俺を?」
「うん。名前は知らなくても、確かに呼んだんだ。オレだけの神さま、って」

空いている左手をハインリヒの黒髪に伸ばす。
無造作に後ろに撫でつけられていたそれが乱れ、額に落ちる。

「懐かしい夢を見たんだ。あれはいつの頃なのかな。父さんが亡くなってすぐの頃だったかもしれない」
「それはまた随分と幼い頃の夢だな」
「うん。司教さまがオレに教えてくれたことはたくさんあるけど、あれは初めて教えてもらったことだったかな」
「どんなことを?」
「“正義”」
「正義?」
「そう。正義と悪について」

夢とは、現実にあった記憶に仮想が入り混じり、あたかもそれが現実の経験であるかのように感じることだ。
だが、それは時に現実だけを突き付けてくる。

たとえば、重い火傷の痕のように。
どれほど長い時間をかけたとしても、消えることも薄くなることもない鮮明な記憶。
痛みを伴う、深い傷の記憶。
それは、残酷なまでに改竄を許さない。
声が枯れるまで叫んだ制止の願いが聞き届けられることもなく、自分の手首から流れた血に濡れた縄の結び目が解けることもなく。
夢であればいいという幻想すらも、許さない。
そういう夢の正体を知っている。

だからこそ、アルフレードには己が見たものが過去の記憶だという確信があった。
今はもう触れることのできない場所にある、時間の断片。
あれは紛れもなく、現実のひと欠片だ、と。

「人の記憶ってすごいね。昨日まで忘れていたのに、今は鮮明に覚えている」

夢で見た幼い頃の記憶。
所詮は夢だろう、と多くの人は笑うだろう。
だが、自分に確信があるように。
疑いなど初めからそこにはなく、むしろ、その確信が正しいと肯定するかのように自分の言葉の続きを待っているハインリヒの頬に触れる。

「悪は時に誰かを護る正義となり、正義は時に誰にでも牙を剥く」
「……」
「バイブルに記されているのは、神さまが慌てて作ったから失敗した不完全な生き物の言葉。だから、それが本当に完全で、正しいものなのか分からない」
「…司教がそう言ったのか」
「うん。司教さまは、一度もオレに神さまは正しいとは言わなかったよ」

それは恐らく、聖職者としては誤まった行為なのだろう。
だが、敬虔な司教は。
我が子に洗礼名を授けた両親もまた。
祈る言葉と方法は教えてくれたが、磔刑にされた哀れな救世主の顕在を説いたことはなかったな、と思い出す。

「いつも、見極めなさいって言っていた」
「見極める?」
「何が正しくて、何が間違っているのか」
「それを見極めろ、と?」
「そう。ジェンダーや偽りの正論に惑わされることなく、真に正しいものを見極めなさいって」
「幼いお前に?いや、聡明なお前のことだから言葉の意味は理解できただろうが…司教も難しいことを言う」

誰もが、何が「正しい」のか頭では分かっている。
だが、人間は自分たちが思っている以上に弱い。
誰かを陥れる虚実に踊らされ、大多数が掲げる正義が正しいものだと盲信し、考えることを放棄し、偽りの正論に惑わされて誰かを傷付ける。

肌の色が違うだけで、誰かを愛しく感じる心まで違うと言うのか。
言葉が違うだけで、平穏な明日を願うことも許さないのか。
神の名前が違うだけで、誰かにとって大切な誰かの命を奪ってもいいのか。
誰かにとって正しくないことは、自分にとっても間違っていることなのか。

その答えを知りながら、誰もが迷うのだ。
惑わされ、見極められずに大切なことを見失う。
だと言うのに。

「そうかな?実は、そんなに難しいことじゃないんだよ」

悪戯を思いついた幼子のように無邪気な瞳を向けてくるアルフレードに、ハインリヒは自分を見つめる鳶色の双眸の中に疑問符を浮かべた己の顔を見つけた。

「信じる正義を、信じるだけでいいんだよ」

簡単でしょう、と笑むその表情は。
無垢な幼子のそれのようで、この世界の醜い部分を見つめてきた者が何かを許容するかのようでもあって。
あどけない甘さの中に、鮮烈で妖艶な芳香を感じるもので。
癒しの翼を持ちながら、その手には剣を持って果敢に戦うあの大天使のような。
相容れないはずの要素を絶妙なバランスで併せ持つ美しくも儚く、苛烈でいて繊細な内面を感じさせるには十分なものだった。
目を奪われる、という言葉はこういうことを表しているのかと思わず納得する。

「自分を信じてくれる人の言葉を、ただただ信じるだけでいい」

誰にでも平等を謳う神すらも、裏切るかもしれない。
疑うこともなく信じていた正論が、突如として牙を剥くかもしれない。
だからこそ、見極めなければいけない。
何が正しく、何が悪で、何を信じ、何を疑い、何に縋り、何と戦えばいいのか。

「司教さまが言ったことを正しく理解できていないかもしれない。でも、オレにはひとつだけ胸を張って言えることがあるんだ」

幼い自分にとって唯一の庇護者であったかの人の手の温もりを、今も鮮明に覚えている。
心から愛する母との再会の約束を果たすために、青空の向こうへと還って逝った父を見送った日。
傷付いた身体と心を打ちつける冷たく厳しい向かい風に怯み、それでも飛び立つことを選んだ日。
いつか出逢えると信じ、そうして出逢うことのできた自分にとっての唯一の“神”と、二度と帰ることはないと思っていたあの土地に踏み入った日。
あの手の温もりは、背中を押してくれた。
大切なものを理不尽に奪われ、躓き、蹲り、傷付いて傷付いて、泣くこともできなくなるほど傷付いて。
そんな自分の背中を押してくれたあの温もりを、今も背中に感じている。

「オレが、司教さまに誇れること」
「何だ?」
「形もないし、目にも見えない。誰にとっても等しい正解のないものだけれど、オレにとっては正しいものを見つけたこと」
「…それは?」
「ハインがオレを愛してくれて、愛させてくれたこと」

ふわり、と咲いたアルフレードの笑みに。
いや、その甘い睦言に。
鉛弾で心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃が襲い、一瞬呼吸ができなくなる。

「ハインは優しいから、いつだってオレにとって正しいことをしようとしてくれるでしょ」
「…あぁ」
「でも、一度だけ。ハインは、ハインにとって正しいことを優先してくれた」
「?」

いつだって、己のためではなく。
誰かのために。
自分のために。
己を白刃の前に晒すことを厭わないそんな彼が。
己自身のために戦うことを選んだあの日。

「ハインは自分のために、オレに手を差し伸べてくれた」

葛藤に苛まれ、その痛みに苦しみ、それでも。
幾度となく引き戻していたその手を、伸ばしてくれた。
誰かに触れたことのないその手で傷付けるかもしれない恐怖に戸惑いながら、それでも。
傷付けることになったとしても、失うことになったとしても。
勇気を掻き集め、自分にとって大切なものを選び取ってくれた。

「全ての人にとって正しくはない。でも、ハインは自分が正しいと思うことを信じて、正論と戦う覚悟をして、こうしてオレと生きることを選んでくれた」

それが、どれほどの勇気が必要なことか知っているから。
だからこそ、その勇気を信じ、自分もまた戦う覚悟をすることができた。

そう続けたアルフレードに、ハインリヒは再び呼吸を失った。
彼は今、どれほど甘い睦言を紡いでいるのか気付いているのだろうか。
無自覚に、いっそ無遠慮なまでに紡がれるそれが耳朶を擽り、空いていた右の掌で額を覆う。

「お前は一体、どこまで俺を許す気だ」
「全部だよ。ハインのことは、全部」

迷いがあった。
戸惑いがあった。
葛藤も、苦悩もあった。

人間という生き物に恐怖している傷付いた心に触れる、迷い。
鋭い爪の隠し方を知らない獣の手で触れる、戸惑い。
同性だからではなく。
心から幸いを願う存在だからこそ、自分の欲望を押し付けることの葛藤と苦悩。
それを、この青年はたった一言で許してしまうというのか。
正論の暴力にも耐え、正義の批判から目を逸らすことも耳を塞ぐこともなく。
むしろ、真っ向から戦うと言うのだ。

「だって、オレにとって正しいのはハインの言葉だけだもん」

アルフレードの声音が甘い水のように全身に染み渡っていくのを感じながら、ハインリヒは彼の痩身を包み込むように抱きしめた。
伝わる体温に、鼓動に、呼吸のリズムに、己のそれがゆっくりと重なっていく。
そうして、自覚する。
“自分”という存在を。
生きていることを、自覚する。

だが、それはハインリヒだけではなく。
アルフレードもまた、自分を包み込む温もりに自覚するのだ。
いまだ心の奥底で膝を抱えて蹲っている幼い自分の存在と、その少年が言葉なく訴える痛みや哀しみや苦しみを。
そして、それが淡い月光に浄化されていくのを。

「本当は間違っているのかもしれないけれど、オレにとっては正しいから」
「アル…」
「ハインがオレを選んでくれたことが、オレにとっては真に正しいことだから」
「……」
「迷いだって葛藤だってあったけれど、それでも…ハインを傷付けることになったとしても、ハインと生きたいって思った」
「…あぁ」
「だから、オレもオレが正しいと思うことを選ぶことができたんだよ」
「……」
「ハインがハイン自身を信じてくれたから、オレもオレ自身を信じることができた」

信じる、という行為は容易ではない。
その対象が大きければ大きいほど、代償の大きさに怯え、躊躇する。
それでも、恐怖心さえ凌駕する信頼感に全身を浸されたとき、人はその幸福感に何が正しいかを思い知る。

たとえば、多くの場合において過ちだとされる道を選んだことを。
たとえば、たったひとりの誰かを護るために何を犠牲にすることにも躊躇しない覚悟を。
たとえば、あらゆる正論に背中を向け、大切なものを選び取った勇気を。
正しい、と思い知る。

「オレの“正義”…。オレだけの、“正論”」

幼い自分の手には余っていた十字架も、今では包み込むことができる。
胸元のそれを引き寄せれば、その手ごと彼の掌に包まれる。

「神さまはきっと、叛逆者であるオレたちのことを信じてはくれない」
「あぁ、だろうな」
「愚かだって嗤われて、過ちだと否定され続けるかもしれない」
「あぁ」
「でも、オレには偽りの正論や正義と戦うことを真に“正しい”と肯定してくれるオレだけの神さまが居るからいいんだ」

幸せだ、と笑ってくれるから。
それが何よりもの肯定だ、と微笑むアルフレードの眼差しは、それこそ世界中の幸福を掻き集めて噛み締めているかのようで。
あぁ、それこそがまさに。
己の全てを肯定するものだ、とハインリヒもまた口端を緩めた。

「ねぇ、今日はバルコニーでブランチしよう。その後は…」
「正義の話でもするか」
「ふふ。それじゃぁ、ユスティティアの物語でも」
「何だ、それは」
「正義の女神の名前だよ。小さい頃、司教さまがオレに読み聞かせてくれた物語があるんだ」
「それは興味深いな。だが、その前に、」
「うん。その前に、」

目覚めのキスを、と紡いだ言葉が重なり、小さく笑い合う。
互いの体温が混ざり合い、鼓動が調和する心地良さに身を委ねて。
そうして、互いの姿を焼き付けるように見つめ合い、ゆっくりと瞳を閉じる。
穏やかな笑みを象ったままの唇が触れ合ったとき、それは真に正しい行為だと肯定するかのようにどこか甘く感じた。

  克ち取れ、選び取れ、迷うな、躊躇うな、お前の正義を貫け


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→おまけのお題「思い出座談会 80,000colpire記念

***
お礼しか言えないことがもどかしいですが、8万hitありがとうございますっ!!!

“正義”というものは誰にもあって、その方向性とか根源にあるものは違う。
彼らのそれは、そういった幾つもある“正義”の1つ。
誰かにとっては間違っていても、彼らにとっては正しい。
欺瞞と利己的な考え方かもしれないけれど、彼らにとっては確かに正しい。

そんな彼らの選ぶ道を、どうかこれからも見守ってください。

*ブラウザを閉じてお戻りください


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