Ich liebe Dich.

帰りが深夜になるから先に寝ていろ、とハインから電話が掛かってきたのが4時間前。
日課になっているデッサンを数枚描き、明日の朝食の仕込みをして、シャワーを浴びた頃には日付が変わっていた。
それが、今から2時間前のこと。

「…まだ帰って来ない……」

1人で使うには大きすぎるベッドの半分は、ぽっかりと空いたまま。
耳を澄ましてみても、ハインの気配はない。

一緒にディナーを過ごしたい、と今では遅くても21時頃には帰って来てくれるけれど、昔はこの自宅に帰って来ないことの方が多かったらしい。
執務室の隣に仮眠室…というよりは、自室に近いものを作り、半ばそこに住んでいたと彼とは長い付き合いの秘書であるフルアさ
んから聞いたことがある。
それが、彼にとっての日常だった。
いや、今も決して変わったわけではない。
世界を相手に仕事をしているハインにとっては、時差も国境も文化や言語さえも些細なもので。
こうしている間も、彼は皓々と明るい執務室で地球の反対側に居る人たちと仕事をしているのだろう。

寂しくないと言えば嘘になるけれど。
あのブラックサファイアの瞳に獰猛な光を宿し、戦うその姿を想像して思わず口許が緩んでしまう。

「かっこいいだろうなぁ」

ミュンヘンの街並みを見下ろすあの最上階にある玉座は、まるで初めから彼のために誂えられたかのようで。
そこに腰掛け、紫煙を燻らせ、絶対的な王たる威厳を従えるその姿は。
静謐な月光を背後に従えたその姿は。
あぁ、純粋にとても綺麗だろう、と思う。

瞼を閉じれば、ブラックスーツを纏ったハインの凛とした姿が容易に想像できる。
煙草とトワレが混じったあの香りも、今はここにはないというのにすぐ傍に感じられる。
あぁ、オレは本当に細胞の隅々まで彼のことが愛しいんだな。
そんな今更なことを実感して、思わず笑みを含んだ吐息が漏れてしまう。

と、そのとき。
玄関のロックが解除される音が微かに聞こえてきた。

(帰ってきた!顔見に行こうかな)

抱えていたクッションを手放したところで、ふと気付く。
ドアの向こうから聞こえてくる足音は、リビングへ遠ざかっていくのではなく。
ゆっくりと近付いてきている。

悪戯心が首を擡げ、オレはベッドから起き上がるのではなく、布団を引き寄せる方を選んだ。
零れてしまいそうになる笑みを何とか飲み込み、寝たふりをする。

(……来た)

オレが寝ていると思っている彼は、とても慎重に、物音を立てないように静かにドアを開けた。
ベッドへと真っ直ぐに向かってくる彼の気配が擽ったい。
だって、帰宅するなりジャケットも脱がずに寝室に向かう理由は、オレの様子を見るためなのだから。

(寝たふりだってバレるかな)

ぐっと近くなった彼の気配とほろ苦い紫煙とトワレの混じった香りが鼻腔に触れる。
たったそれだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
だというのに。
そっと伸ばされてきた彼の手が、まるで壊れ物を触るようにオレの頬を撫で、髪を梳いていった。
瞼を閉じているから見えないけれど、彼の口許に微笑みが浮かんでいるような気がしたのはきっと気のせいではないと思う。
瞼の内側に、じわじわと水滴が溜まっていく。

「…アル」

耳にひどく心地良い優しい声音が、オレの名前を紡ぐ。
あぁ、こんなにも心を充たしてくれる人をどうして愛さずにいられるだろう。

「……アルフレード」

ベッドが僅かに沈み、彼がオレの枕元に手を付いたのが分かった。
彼の香りが一層濃くなり、耳朶に彼の吐息がかかる。
そして、ひどく甘く優しく穏やかな声が、オレの鼓膜を震わせた。

「Ich liebe Dich.」

愛している、と。
この世界にある、優しさとか労わりとか慈しみといった感情をすべて掻き集めたかのような声音で。
あぁ、あぁ、もう堪らない。
心から溢れてくるイトシサが、零れてしまう。

「おやすみ、俺の最愛」

もう一度さらりと頬を撫で、髪を梳き、額に口付けを落としたハインはオレが寝たふりをしていることに気付いていないのか。
何事もなかったかのように、来たときと同じように音も立てずに寝室から出て行った。
本当に彼は、寝ているオレの様子を見に来ただけなのだろう。
寝ているオレに、あんなにも甘い愛の言葉を囁くために。

「……あんなの、反則だ…」

ほんの数十分前までは王として威厳を従わせていた人が、あんなにも穏やかにオレの名前を呼ぶなんて。
獰猛な獣のような鋭さで世界と戦う人が、あんなにも甘い声で愛を紡ぐなんて。
あぁ、もう本当に堪らない。
枕に顔を埋め、ゆるゆるに緩んでしまった口許を隠すことしかできない。

(今度は寝たふりをしないでおこう…)

寝ていると分かっていながら、真っ先に会いに来てくれるあの愛しい人に。
オレもありったけの言葉を掻き集めて、愛を囁き返そうと思った。




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***
寝ているときにされるキスこそ相手の想いが伝わるものはないと思う今日この頃。
そんな情熱的なキスを見守る寝室の壁に、私はなりたい。

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