雨よ止まないで - eterna

雨よ止まないで

バケツをひっくり返したような雨の勢いは衰えることなく、交通機関は完全に麻痺。
アウトバーンも閉鎖され、鉄道も運転を見合わせたまま半日が過ぎた。
地上は混乱のさなか。
となれば、空も例外ではなく。
欠航を知らせる赤い表示が並ぶスクリーンを前に、フルアは溜め息を吐き出した。
自然の脅威を前に人間などちっぽけなもので、こればかりは仕方がない。
とはいえ、空港に足止めをされたまま7時間も過ぎるとさすがに参る。
ベンチでぐったりと項垂れるビジネスマン、床に座り込んでしまった旅行客、チケットを握り締めたまま行き場を無くした人々の顔には色濃い疲弊が浮かんでいる。

しかし、数年前まで世界中を飛び回る生活を送っていたフルアにとって、自然災害や天候によって足止めされることは稀な事ではない。
時には乗客が起こしたトラブルでフライトが中止になることもあった。
慣れている、と言うのは可笑しな話だが、「待つしかない」と妙に達観した気持ちもある。

だが、彼にとってはどうだろうか、とフルアは疲れ果てた人々が座り込む通路を足早に進む。
ハイクラスチケットを持った者だけが利用できる専用のラウンジもない小さな空港だ。
行き場を失った不特定多数の人間がぎゅうぎゅうとひしめき合っている空間は、それこそあの青年にとっては辛いだろう、と自然と歩みも早くなる。

(ボスが傍に居るとはいえ、良い環境とはとても言えない)

疲れ果てた人々の諦めや苛立ちは足元に溜まっていくばかりで。
空気は淀み、妙な息苦しさを感じるのは気のせいではないだろう。
人の心の機微に聡いあの青年はきっとそれを人一倍、ここに居る誰よりも敏感に感じ取っているに違いない。
その瞳に翳を落としていなければいいが、と大きな旅行バックやキャリーケースを避けながらフルアは窓際のベンチに急いだ。
しかし、そこで見たのは。
想像とは全く違う光景で、フルアはボトルグリーンの双眸を微かに瞠目させた。

(…これはこれは…)

搭乗ゲートの近くに並んだベンチの一番端。
肩が触れるほど寄り添い、楽しげに笑い合っている姿はまるでそこだけが別の空間にも見える。
疲弊した人々とはまるきり対極的なアルフレードとハインリヒの様子に、フルアはふっと口端を緩めた。

「随分と楽しそうですね」
「あ、フルアさん!おかえりなさい」
「はい、ただいま戻りました」
「どうでしたか?」
「残念ながら、運行再開の気配はまだありませんね」
「そっかぁ」
「まぁ、待つしかないだろう」

肩を竦めるハインリヒに売店で手に入れた缶コーヒーを渡す。
アルフレードにも同じものを買ってきたが、彼にはチョコレートとビスケットをそれに添えて渡してやれば満面の笑みが向けられる。

「お前も俺のことを言えない自覚はあるか?」
「ボスほどではありません」
「お前も大概だろ」

みんなで食べよう、とさっそくチョコレートの袋を開けているアルフレードの無邪気な笑みに、フルアはハインリヒと顔を見合わせて微苦笑する。
決して彼を子ども扱いしているのではない。
だが、無意識に菓子に手が伸びていた。
強いて言うなら、彼には手をかけたいのだ。
何かしてやりたい、とも言える。
腹を空かせているようであれば、何とか食べ物を手に入れるだろう。
喉が乾いているようなら、井戸の前の列に何時間でも並ぶことを厭わない。
ただただ、彼に喜んで欲しい、笑って欲しい。
憂いがあるなら取り除いてやりたい。
そういう欲求が、いつしか行動する理由の中に根付いていた。

「それを“過保護”だと言うんじゃないのか」
「私などボスの足元にも及びません」
「よく言う。で、グラースは?」
「はい。別ルートでの帰国便を探していますが…」
「難しいだろうな」
「そうですね。ホテルさえ確保できればいいのですが…もうしばらくご辛抱ください」
「あぁ、分かった」
「アル君もすみません、せめてラウンジのある空港だったならよかったのですが」
「天気のせいなんだから、フルアさんが謝ることじゃないですよ。それに、結構楽しんでいますから」

次の休みに2人で何をしよう、と計画を立てたり。
あそこで飲んだワインが美味しかったね、と思い出を語り返してみたり。
空港の至るところに飾られている広告のデザインについて意見を交わしてみたり。
さっきまで株価のチャートの見方を教えてもらっていました、と笑うアルフレードがいつも持ち歩いているデッサン帳を広げて見せてくる。
そこには、見慣れた上司の文字で株価の変動やその波の見方が図解されていた。
その横にはアルフレードが描いたらしい可愛らしいうさぎのイラストと彼のものとは違うタッチの絵も並んでいる。

「…ちなみに、その妙な猫のイラストは…」
「妙とは何だ」
「ふふ、ハインと絵でしりとりをしていたんです。ハインの絵って何か癖になりますよね」
「アルが上手過ぎるんだ。どう考えても俺が不利だろうが」
「えー、そんなことないよー。だって、これすぐに分かったよ。フルアさんも分かります?」

そう言って見せられたのは、眼鏡をかけた男のイラスト。
実にシンプルにデフォルメされているが、妙に特徴を掴んでいる。

「まさかとは思いますが、私ですか?」
「正解です。ふふ、“秘書”でフルアさんを描いたんですよ」
「アルが描いた“洋梨のタルト”の絵の完成度を見てみろ。これはもう金を取れるレベルだ」
「あはは、大袈裟!」

くすくすと笑い合う彼らの姿に、ここが悪天候で足止めをされている閉鎖的な空港の中であることを一瞬忘れる。
陽光が降り注ぐ穏やかな午後を、美しい庭園の芝生の上で過ごしているかのような。
そんなゆったりとした時間が彼らの周りに流れている。
いささかぐったりした表情で戻ってきたグラースもまた微笑ましいその光景を前に瞠目した後、瞳を細めた。

「せっかくだから、みんなでやろうよ」

アルフレードがデッサン帳を、ハインリヒが鉛筆を差し出してきた。
次は“と”から始まる何かを描いてください、と微笑むアルフレードの隣でハインリヒの口端も楽しそうに緩んでいる。
まるで彼らの周りだけ別の空間のようだと思ったが、その通りだったのかもしれない、とフルアもまた口端を緩めた。
ひどく穏やかで、優しい緩やかな時間の流れに包まれる。
人々は疲弊した顔で鈍色の空を恨んでいるが、陽光はそこにしかないものではないのだ。
晴れ間はこれほどに近くに、手を伸ばせば届く距離に。
もう少しだけこの時間を堪能したい、と柄にもなく空に願った。


 光はいつだって此処に在るのだから


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***
ハインは下手と言うわけではないけど上手いとも言えない微妙な絵を描きそう。
グラースは結構可愛いイラスト描く。
フルアは「なにこれ…猫?猫…え、ね、猫ぉ!?」ってなるようなクリーチャーを生み出す。

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